ここは新潟県新発田市天王(旧豊浦)。かつて豪農、巨大地主として栄えた場所が、今もその形を残しています。 明治初期造営の600余坪を有する風格ある大邸宅と、水池を配した8000余坪の広大な回遊式庭園です。四季を通じてその表情を変化させる市島邸、是非足をお運びください。 |
![]() 正面表門 |
ここは新潟県新発田市天王(旧豊浦)。かつて豪農、巨大地主として栄えた場所が、今もその形を残しています。 明治初期造営の600余坪を有する風格ある大邸宅と、水池を配した8000余坪の広大な回遊式庭園です。四季を通じてその表情を変化させる市島邸、是非足をお運びください。 |
![]() 正面表門 |
| 田畑 | 約 1,830町歩 (大正13年[1924]農商務省地主調査県下一位) |
|---|---|
| 山林 | 約 3,000町歩 |
| 番頭 | 30名 |
| 差配人 | 100余人 |
| 年貢米 | 36,000俵 |
| 米蔵 | 20箇所 |
| 小作人 | 2,600人 |
| 市島家は丹波(兵庫県)に発する。 | ![]() ![]() |
| 後、慶長3年(1598年) 開祖治兵衛の頃、溝口侯の新発田移封に伴い加賀大聖寺より随従して以来、次第に栄華を極めた。 | |
| 宗家は居を五十公野(現新発田市)、水原と移すが、水原時代は福島潟の干拓を中心に蒲原平野の開発に努め、ついには北陸有数の1,000町歩余りを有する大地主、豪農に発展した。 | |
| その後、戊辰の役に水原の邸宅は兵火により焼失したため十世四代徳次郎(静月)は現在の地に新たに市島家本邸を造営した。 | |
| 邸宅は敷地8,000余坪(26,000u)、建坪600余坪(2,000u)に及ぶ。 | |
| 建物は明治初期の風雅な純和風住宅建築として知られる。これを囲む回遊式の静月園(庭園)は、自然の風致に富み、起伏ある小路の折々に歌碑が建ち、広い池をとりまく樹木はそれぞれの四季を映している。 |